2012年7月24日火曜日

シンドラーに関する記事

昨日ちょうどシンドラーに関する記事を読んでいたのですが、
今朝シンドラーのリストが見つかったという
ニュースが飛び込んできたので我ながらなんちゅうタイミングだ!と思った。
��と地味なアピール)

【シドニー6日AFP=時事】第二次大戦末期、ユダヤ人1000人以上の命を
救ったとしてスティーブン・スピルバーグ監督の映画「シンドラーのリスト」
などで描かれたオスカー・シンドラー氏(1974年死去)が残した
本物のリストのコピーが、このほどオーストラリア・シドニーの
ニュー・サウスウェールズ州立図書館で発見された。

映画の原作小説を書いた豪州の作家トーマス・キニーリー氏の
資料箱から見つかったという。
リストは大戦末期の45年4月18日付で、黄ばんでもろくなったタイプ打ちの
カーボンコピー13枚から成り、シンドラー氏によってガス室行きを免れた
801人のユダヤ人の名前が記されている。
��中 略)
図書館によると、このリストは80年、「ユダヤ人労働者173」として
同リストに記載されていた人物が、シンドラー氏のことを小説に書くようにと
キニーリー氏を説得した際、同氏に渡したものだという。
シンドラー氏は、ナチス・ドイツによるポーランド侵略後、
ナチ党員としてのコネを使ってクラクフの工場を手に入れ、
ユダヤ人労働者を働かせていたが、戦争が進むにつれてナチの残虐行為に
ショックを受け、賄賂などの手段を使い、ユダヤ人労働者を収容所に
送らせないための説得工作を行ったとされる。
��中 略)
図書館によれば、小説や映画ではリストが一つだけだったと描かれたが、
実際はユダヤ人を収容所に送らせないための説得工作を行う中で
シンドラー氏は複数のリストを作成したという。
��4月6日22時8分配信 時事通信より)

すごいね~!青い鳥というかデコの上のメガネというか。。。
習慣付いている物事って目や間隔が慣れているもんだから気が付き難いのよね。
探しものは意外と身近にあったのだなあと改めて実感。
私も無くしたCDをもう一回探してみようと思いました。

で、何でそんなの調べてたんか?って話ですが、
私はスパイとか探偵になりたいと思っていた変な子供だったので、
たまたまそういった本を読んでいて見つけたのです。

簡単に言うと、彼は事業を起こす前はドイツのエージェント(スパイ)
だった時期があって、ドイツのポーランド侵攻の口実として
ドイツのラジオ局での襲撃事件を偽装工作する際、
襲撃する側のポーランド兵の服を調達したのは彼だったそう。

言わずもがなポーランド戦は第2次世界大戦に発展していきます。
ホロコーストなどが行なわれた悲惨な戦争の引き金の一つの事件に
関わっていた人が、やがて私財を投げ打って迫害されている人々を
助けることになるなんてね。

何人かには話したけど私はベルリンとワルシャワには行けないなぁ。

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